ロンドン旅行(その1)

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ロンドン旅行(2003年9月17日~22日)

 

二度目の海外旅行先はロンドン。

貴族、王室、女王様、プリンスにプリンセス...イギリスには漠然とした憧れを持っていて、旅行先をヨーロッパで探していたら割と安くて。一緒に行く友達がミステリー小説好きという事もあってトントン拍子にロンドン行き決定!

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利用した航空会社はヴァージン・アトランティック航空。

今でこそ長距離フライト座席にはモニター付きがマストになっているけれど、当時は「モニター付き」が売り文句として広告に載っていたりしてた。

 

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この時は割りと空いていて、4人席(だったか3人席だったか...)を2人で広々使えて、モニターで映画見たりゲームしたりでめっちゃ快適な空の旅。その後も何度かヴァージン・アトランティック航空指定で旅行したレベルでは気に入っていたんだけれども、2015年で日本発着路線撤退してた。残念...。

 

ロンドンへは夕方頃に到着し、送迎車でホテルまで。

泊まったホテルは「インペリアルホテル」 近くにハリー・ポッターで撮影された駅があるとの事だったのでチェックイン後、散歩がてら散策。

 

大きいねー、綺麗だねーとしばらく見てたけど....。

 

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外観が撮影されたのはこっち↑(セント・パンクラス駅)で、プラットフォームが撮影されたのはこっち↓(キングス・クロス駅)

 

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駅構内には、9と3/4番線のプレート。

現在は、ここにカートが半分埋め込まれた状態になってるらしい。この時、プラットフォームまでは見に行かなかったのでまた是非とも行きたい!!

 

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プラハ&ウィーン旅行(その8)

王宮内をふらふらしていたらいつの間にか着いていたシュテファン大聖堂。

めっちゃ迫力!!写真じゃあまり伝わらないけど想像以上に大きい。

 

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屋根には鷲の紋章モザイク画

 

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ハプスブルク家の歴代当主と近親者は、遺体・心臓・その他の内臓を別々に安置・埋葬する慣習があり、シュテファン寺院には心臓以外の内臓が安置されている。これは地下カタコンベツアーで見学可。

 

で、遺体が埋葬されているカプツィーナ納骨堂(皇帝納骨堂) 

 

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シシィも眠るその場所にいざ...行ったんだけど、改装中で見れず。これは本当に残念だった。ちょっぴりあきらめきれず(というか、改装で全部見れないのか一部は見れるのか分からなかった)無理矢理中に入る無謀な二人。 

 

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最後に再度王宮へ戻る時に通ったミヒャエル門。

実際はここが王宮の正門で、この門は王族しか通れなかったそう。

 

 

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真ん中のドームの高さは37m。開放感!!!

ネットはやはり落下物防止の為なのかな?

 

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で、ここで見つけたのがシシィのシルエット。

内部工事中で、開いていたドアから見れたんだけど..これ..現在のシシィ博物館内部の一部分。当時は博物館が出来る事すら知らなかったので、なんでこんな所に?と思ってた。博物館は2004年4月にオープン。

 

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今こうして振り返ると、中に入らなかったり..と見逃している所が多すぎる。でも当時は初めての海外旅行にとても興奮し、憧れの地に行けたことだけで本当に嬉しかった。「またいつか行く!」と宣言してからウィーンに再訪したのは11年後。プラハにはまだ再訪出来ていない。でもまたいつか絶対行く!!

 

 

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プラハ&ウィーン旅行(その7)

実質的な観光最終日。

プラハに続き街並みを見つつ、ホテルから歩いてホーフブルク宮殿へ。

 

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シェーンブルン宮殿が別荘なら、ホーフブルク宮殿は本宅。

重厚な感じでヨイヨイ。 

 

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こちらもオーディオを借りて見学。

フランツ・ヨーゼフ1世の部屋にはシシィ(エリザベートの愛称)の写真が本当に沢山あるのに、逆にシシィの部屋には両親や兄弟の写真。なんかちょっと切ない。

 

有名なシシィの体操部屋があるのもこちらの王宮。

そして、日曜日のミサで王宮礼拝堂で歌うのはウィーン少年合唱団

 

敷地内のフォルクス庭園。

奥にはシシィの像が...。宮廷生活を嫌い、放浪の旅に出ていたシシィがこうして王宮を見守るようにいるのはとても感慨深い。

 

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ゆったりとしたドレスにリラックスしたような表情。

宮廷内でこんな風に過ごせた日はどのくらいあったのかな?

 

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プラハ&ウィーン旅行(その6)

地下鉄に乗ってやってきたのはハプスブルク家離宮シェーンブルン宮殿

1693年 レオポルト1世(在位:1658年 - 1705年)が狩猟用の別荘を建てる。歴代の皇帝らが増築・造作を行い、マリア・テレジア(在位:1740年 - 1780年)の時代に完成された。ウィーン風ロココ様式と称される。

 

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オーディオガイドを借りて見学。

ミュージカル「エリザベート」でも出てきた、皇帝の謁見室や執務室、エリザベートの書斎や化粧室、鏡の間、etc..。たかまるーーー!! 

 

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総部屋数1441室。

見学出来るのはその中のほんのわずかだけれども、マリア・テレジアにマリー・アントワネットに、モーツァルトに、ナポレオンにetc...。誰でもが知っている偉人達の縁のある物が次々出てきて、ヨーロッパの歴史がここに詰まってるという感じ。

 

中庭から出て見えたのは、グロリエッテ。

 

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宮殿から中庭を通ってグロリエッテまでは歩いて20~30分。

夏はミニトレインが走っているらしいけど、私達は地道にテクテク歩く...。写真撮ったりしながらなので思ったより辛くはない。登りきると眼下にシェーンブルン宮殿

 

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憧れの地に立っているこの感動。

はぁ..ウィーンに来て良かった。

 

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プラハ&ウィーン旅行(その5)

プラハからウィーンへは列車で。

5時間揺られガタンゴトン。

 

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 入国審査も車内で受けたんだけど、ちゃんと列車マークになっていて可愛い。

 

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シェンゲン協定に加盟している国は、上記スタンプデザインは共通で、左側の丸中部分のアルファベットが各国を示している。(左側、列車でオーストリアに入った時。右側:オーストリアから飛行機で出国した時)

 

泊まったホテルは「HOTEL HARMONIE

 

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ホテルの近くにあったヴォティーフ教会

 

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1853年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がテロによる暗殺から無傷で逃れられたことを神に感謝し、弟で後のメキシコ皇帝マクシミリアンによって1856年から1879年にかけてウィーン大学近くのリングシュトラーセ沿いに建てられた。

 

68年の長い在位なだけあって、市内外いたる所に関係ある建物・お店等々が多くあってそのたびに感動。あそこも、ここもまじ聖地。楽しい!!

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プラハ&ウィーン旅行(その4)

プラハは様々な建築様式が街中にあるので、「建築博物館」とも言われてるそう。

 

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・ロマネスク様式

ゴシック様式

ルネッサンス様式

バロック様式

・アールヌーヴォー様式

キュビズム様式(プラハでしか見れない建築様式)

etc...

 

wikiによりますと、

プラハは、1000年以上の歴史を持つ都市であり、第一次・第二次世界大戦の被害にも、また、その後の資本主義の高度経済成長にも巻き込まれなかったことで、ロマネスク建築から近代建築まで各時代の建築様式が並ぶ「ヨーロッパの建築博物館の街」になり、ユネスコ世界遺産にも登録されている。

 

 そんな街並みを見ながらテクテク..。

上り坂もテクテク...。 

 

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そして到着したプラハ城正面前。

 

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聖ヴィート大聖堂

 

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大変おおきゅうございます。

本来ならば、プラハ城内部や教会内部の事も書きたい所なんだけど、書けない..書きたくても書けない。なぜなら、中に入っていないから!!!!!

 

ここまで来て中に入っていないんですよ私達。

教会は、なんとなくミサの最中で入れなかったような気がするけど、プラハ城に関しては何故見学しなかったのか本当に分からない。プラハのメイン観光地だろ?と。

 

そんな私達が喜び勇んで行った場所がこちら。

 

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日本大使館

(小説のプラハの春は日本国大使館員と東ドイツ人の反体制活動家のラブロマンス)

 

行ったくせに全く何も見ていないプラハ。再訪絶対する!!

 

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プラハ&ウィーン旅行(その3)

翌日、朝ごはんを食べて元気モリモリな若者二人。ホテルからプラハ城まで徒歩で行く事に(今は隙あらば楽をする事ばかり考えて即効で乗るのにね。若いよね、ほんと。若いってそういうこと ※2度目)

 

テクテク...。

靄の中のプラハ城。

 

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テクテクテク...。

ルドルフィヌム(ドヴォルザークホール)

 

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当時は何のホールなのか知らないまま撮ってたんだけど、何年後かにのだめカンタービレで映った時に初めて有名なコンサートホールだった事を知った。クラシックの分かるちゃんとした大人にいつかはなりたい。でも私の音楽レベル2歳から13歳までエレクトーンやってたけど未だに音符読めない時点でお察し。

 

 

テクテクテクテク...。

カレル橋入口到着!でかい!!(語彙力!!!!)

 

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プラハ最古の橋で、その名前が付いたのは1870年になってから。その前は普通に「石橋」と呼ばれていたって..そのまんま。カレル橋といえば両脇の聖人像。15体ずつの合計30体が一定の間隔で並んでいるんだけど、これ現在は全てがレプリカなんだって。

 

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数ある聖人像の中でも、観光客に特に人気なのは聖ヤン・ネポムツキー像。

台座のレリーフを触ると幸せになれるというので皆触って金ピカつるつる。あれから14年..効果はまだない。(どうやら幸せになる為には、左右のレリーフに同時に触らないとダメらしい。幸せになりたいなら手を広げて掴みにいきましょ)

 

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Wikiで調べますと、こんな文が。

ヨハネの殉教の背景には、当時のボヘミア王ヴァーツラフ4世とカトリック教会との対立がある。具体的な経緯については、空席となっていた修道院長の人選をめぐる大司教ヤン・イェンシュテインとヴァーツラフ4世の対立に巻き込まれたとする説や、司祭として知りえた王妃の告解の内容を王に明かすことを拒んだからとする説などがある。いずれにせよ王を怒らせた聖ヨハネは拷問を受け、1393年3月20日に落命した。その遺体はカレル橋の上から投げ捨てられたが、同年4月17日、ヴルタヴァ川の川岸で発見された。プラハ聖ヴィート大聖堂内には、フィッシャー・フォン・エルラーハが手がけたバロック様式の墓がある。

 

カレル橋から投げ捨てられるとか‥壮絶な人生を送ったのに、人に幸運与えようとしてくれているなんてマジ聖人。レリーフ触って幸せになった人はちゃんとお墓参りするべき。

 

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